『天才!前田智徳が引退・・・感謝!』
あのイチローが落合が天才と評した人。
それが、カープの前田智徳。
その前田選手が引退を発表した。
前田選手は、実はゴールデングラブやベストナインはあるが、主要な打撃タイトルは取ったことがない。
それなのに、天才と広く野球関係者から認められている。
ある意味、稀有な存在です。
ただ、本当に雰囲気のある打者で、相手チームながら一番と言っていいほど見たい選手でした。
好きだった前田智徳選手。
お疲れさまでした。
本当に月並みですが、思い出すのは北別府投手が投げた試合での涙の決勝ホームランです。
あれで、ファンになった方も多いのでは。
テレビ中継かスポーツニュースか忘れましたが、スゴイ人だな。。。
と、強烈に思った記憶があります。
「代打 前田!」がコールされるとカープファンは一番盛り上がっていましたね。
(ご存知ない方のために簡単に、涙のホームランエピソード・・・)
1992年9月13日の巨人戦の5回裏。
前田は、川相のセンターへ飛んだ打球に突っ込んで捕ろうとしたが後逸。
ランニング本塁打となって1-1の同点に追いつかれる。
しかし、8回表1死1塁の場面で前田は、起死回生となる決勝2ラン本塁打を叩き込む。
ミスを帳消しにした。
前田は、そのときダイヤモンドを回りながら涙を流していた。
試合は、そのまま3-1で広島が勝利。
しかし、前田は、試合後のヒーローインタビューに呼ばれながらも、断固として拒否し、お立ち台に立つことはなかった。
アナウンサーの説明によると・・・
「自分のミスで同点にされ、その後にいくら決勝本塁打を放ったからといって、その男がヒーローになるのはおかしい、」という理由。
普通の選手なら、必死でミスを挽回しました!・・・
とか言いそうなのに。
アナの説明を聞いて、皆が一瞬シーンとなったのを覚えています。
その試合、先発投手の北別府学に、勝ち星がつかなかった。
北別府は引退間際で200勝を目の前にしていたのです。
前田にとっては、本来であれば6回表の打席で打って、北別府に勝ち星をつけなければならなかったという想いも強くあったのだと思います。
侍と評されたのもよくわかるエピソードです。
引退されてから解説者になるそうです。
お世辞とか言えなそうだし、大丈夫かな?
前田選手お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。感謝です。
さいたま市議会議員 小柳よしふみ
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小柳よしふみ さいたま市議会議員(国民民主党)
1965年生まれ。高砂小、岸中、県立浦和高校、慶應義塾大学商学部卒業。
90年埼玉銀行入行も父の突然の病死による家業継承のため、92年(株)埼京警備に入社。代表取締役就任。以降20年以上に渡り経営者として実務を行う。11年さいたま市議会議員に初当選(浦和区)15年、2期目当選。